(夜間拝観を終えて、心境が残っているうちにそのままに感じたことを書き残しました。
人それぞれの感じ方があると思いますが、その時深く思ったことを書いております。)
何かに属しているとか、特になくて
修験道が好きだな〜と感じているけど
無宗教でありながら
今回初めて信仰とはこういうものなのかと自分の中で腑に落ちたところがありました。
それは感覚的なことだから何とも表現できないけれども。
信仰する心、そして祈り。
祈りというものが今までも想いは伝えてはいたけれど
今回はもっと深いところ、
祈りというそのことが出来たような気がします。
自分の頭の中が祈りとともに深ーいところに意識と入っていって、深く呼吸をし、
深く礼をするその動作自体も意識に連動している気がしました。
今までには感じたことがなかった感覚。
夜間参拝でじっくりしっかり蔵王権現さんと繋がる機会を得られたからであろうか。
けどこれは今はじまった縁でなく、
遠い昔のどこかから決まっていた話と聞いたからか。
無になる感覚をやっと分かってきて
頭の思考回転がフルなところ減速し、むしろキーを抜いて目の前に集中し堪能する大切さがなんとなく分かってきました。
そして今を生きるという概念において
それが大事なこと、そしてその感覚の集中が自分の体験として身になる。
また気持ちが良いという精神的快感として
美味しいなあとか幸せだなあとか
感じやすく浸りやすくなれました。
その感覚というものを分かったことが
信仰と祈りがちょっと理解できた紐になってるのかなあ。
とにかく
過去でも未来でもなく
目の前の今が過去も未来も繋がっているから
今を生きる大切さを知り、
またその精一杯毎日生きるきっかけとして
笑顔を心がけるっていうのを学びました。
普段からにこやかにいたいとか
笑顔がいいって褒めていただけることがとても多いけど
それが自分が、もしくは誰もが
生きていく上でもっとも大事と知り
それを実践していこうと思って過ごしていたことは正解なんだなと思いました。
わたしも笑っている方が幸せだし
相手もにこやかな相手と接する方が嬉しいと思う。
同じ時間を過ごして行くなら
頭に刻まれて行く思い出は良きものであってほしい。